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6月

2013

小名浜ショッピングセンターと小名浜名店街を語ろう会2のまとめ


小名浜ショッピングセンターと小名浜名店街を語ろう会2の模様

 かつて小名浜に存在した、2つのショッピングセンターについて語り合うイベントを、去る629日に開催しました。

 2つのショッピングセンター『小名浜ショッピングセンター』と『小名浜名店街』。その2つは隣り合って存在し、小名浜を賑わせました。

 建物の中に川が流れていた小名浜ショッピングセンター。中2階の広場に飛行機のプロペラが飾られていた小名浜名店街。ショッピングセンターと名店街の間の道で開催されていた「のみの市」では屋台がたくさん並び、大人から子供まで大変に賑わっていました。

 まさに小名浜の商業の中心として輝かしい賑わい振りを見せていたのです。

昭和45年のようす。火事からの華麗なる復活を遂げ、新しくなった小名浜ショッピングセンター。屋上に飛行機が乗っている小名浜名店街。
昭和45年のようす。火事からの華麗なる復活を遂げ、新しくなった小名浜ショッピングセンター。屋上に飛行機が乗っている小名浜名店街。

 この2つのショッピングセンターに共通している事、それこそが僕が興味を持った要因であり、今の地方都市に必要な要素だと考えています。

 それは『誘致型』ではなく『地元産』である、という事。2つのショッピングセンターは、地元の商人たちが手を組み合い、協同組合として運営されました。ドラゴンクエストで例えるとスライムがいっぱい集まってキングスライムになった。そんなイメージです。

 そこに生まれた小名浜の活気は、まさに小名浜の誇りだったと思います。地元の商店が一致団結し町を盛り上げる。この誇るべき小名浜の歴史を共有し合って、今一度小名浜について考える。そういう機会を目指して開催したイベントです。

 

 今回の『語ろう会』は、USTREAMで生配信しながら3部構成で行われました。

 第1部は「小名浜ショッピングセンターの生い立ちストーリー」。第2部は、当時の資料やなつかし写真を見ながら「小名浜ショッピングセンターと小名浜名店街あるある」を語りました。そして第3部のテーマは「これからのまちづくり」。建築に関わる3人のゲストを中心に、縦横無尽なフリートークセッションを展開してもらいました。第3部のまとめは『小名浜発 地産クリエイティブを伝えるウェブマガジン tetote onahama』内のSUPERLOCAL 011に掲載されておりますので、是非じっくりご覧ください。

 

 さて、それでは第1部「小名浜ショッピングセンターと小名浜名店街の生い立ちストーリー」をざっくりまとめてお届けいたします。これまであまりアーカイブされていない小名浜の歴史の一部です。いつかこの物語が映画化されることを願って。

 また、以下に記す内容は、僕が直接当時の組合立ち上げメンバーだった方にお聞きした話や、須田一男著『小名浜ショッピングセンター物語』を元に構成しております。この本は、現在絶版になっておりますが、いわき市の図書館で借りる事ができます。この本には生い立ち以降のショッピングセンターも記されていますので、このブログを読んで興味が湧いた方はぜひ図書館でレンタルして読んでみてください。

 

 さあ、それではまず小名浜ショッピングセンター誕生ストーリーを。はじまりはじまり~。

時は昭和39年。東京ではオリンピックが開催された

 小名浜ショッピングセンターが生まれる数年前、戦後復興の一大イベント、東京オリンピックが開かれ、日本は高度経済成長のピーク状態でした。活気にあふれる日本。しかしその反面、産業変革も起きていて、エネルギーが石炭から石油にシフトしていった時代でもありました。そうです、映画フラガールの舞台でおなじみの常磐炭田も、徐々に衰退し、昭和51年にその役割を終えました。

 

 同時に社会はマイカーの時代へ。小名浜の通りに店を構える個人商店主たちは大苦戦していました。借地借家の商店主たちは、自動車普及によってどんどん流出していくお客さんを見ながら色々思った事でしょう。あぁ、うちに駐車場が欲しいなぁ。なんとかしてぇなぁ。と。

 

 その思いは共通のもので、借地借家の商店主たちは手を組んでいくことになるのですが、ここでそのジレンマが記された資料があるので、一部紹介します。これは組合の決起会の時の文書のようです。

 

 近時磐城市は港湾の整備、大企業の建設が促進され、更に新産業都市の指定も相俟って市政の進展は目ざましいものがあります。しかしながら我々商業サービス業者は、外来大資本による大型店舗或いはスーパーの開店により甚大なる影響を受け、売上の減少となって現れてまいりました。更に近年は地代・家賃が不当に値上り、我々零細商業サービス業の経営は、益々困難となり倒産寸前のものさえあります。(『小名浜ショッピングセンター物語』より一部抜粋)

 

 余談ですが、今の小名浜の状況とソックリなのが驚きです。AEON MALLの誘致、地代・家賃の値上り等、進展による弊害は時代が違えど同じなのですね。

 

 話を戻します。

 

 このような昭和30年代半ばから後半の小名浜の状況の中で、借地借家の商店主たちは、『共同店舗、共同駐車場』という共通の構想に夢とロマンを感じ、手を取り合い、共同組合を組織するに至ります。

この壮大な構想の旗手を取ったのが、小泉金物店の小泉竜一氏でした。同時に小名浜ショッピングセンターの発起人です。

 小泉氏は、古湊地区から、本町通りにある、中島商店街、銀座商店街、西町商店街の3つの商店街、そして松の中までの商店主に共同店舗の構想を説いて歩きました。そして昭和38年9月11日、小名浜市民会館にて100名前後の参加者を得て、華々しく小名浜ショッピングセンターの発端を飾ったとのことです。

 

 まさにこの時代、昭和30年後半は、国の中小企業政策により、このような「寄合共同店舗作り」が推進されていました。そして全国で初めて生まれた寄合型ショッピングセンター第1号が、同じ福島県の「本宮デパート」だと言われています。しかしこのデパートは同時に「失敗の第1号」とも言われています。

 国の政策で推進されていたとはいえ、この協同組合による共同店舗の運営は、全国各地でその運営の難しさが議論されていました。協同組合による内部のシガラミと利害関係などの人的結合をどうまとめるのか…。

 

 リーダー小泉氏を筆頭とする小名浜ショッピングセンター協同組合は、昭和42年3月、組合員24名で結成されました。当時の小泉氏は38才。組合員の平均年齢も38才という若手軍団。組合員の中には20代の方もいました。そんな若手組合は、いよいよ夢のショッピングセンター建設へとつき進んでいきます。

 

 夢のショッピングセンターの立地を、移転で空き地になった小名浜第一小学校跡に着目しました。しかし、資金も融資も集まりません。「小名浜のゴロツキが何を言っている。そんなことできるわけがない」そういわれる始末。組合を結成したと言っても、組織は烏合の衆だと見られていたようです。

 

 小泉氏を筆頭に、小名浜の若手組合は数々の困難に立ち向かっていきます。かなり端折って書いていきますが、彼らの行動はもはやド根性です。要するに根性。まずは資金と土地を手に入れる為に組織を法人化します。

 

 まずは土地。小名浜一小跡地は公有地。公的な理由がないと手に入りません。そこでまずは市議会に働きかけます。小名浜ショッピングセンターはまちづくりの一環なんだと。そのように助成、援助を陳情しました。土地そのものを管理しているのは県当局。県庁は福島市にあり、当時の移動手段だと小名浜~福島間は片道4時間。しかし交渉するために何度も何度も往復したそうです。もちろん門前払いだったとのことで、早朝夜間いとわず、担当者、担当課長の自宅や官舎に直接直訴に行ったそうです。

 

 そして資金。これもまた福島市にある東邦銀行の本部に直接交渉。熱烈に通い詰め、ついには頭取に『組合はもとより、小泉くん、君に貸そう!』と言わしめたそうです。

 

 カリスマ小泉氏を筆頭とした小名浜ショッピングセンター組合は、こうして土地と資金問題をクリアしました。さあ、いよいよ土台は固まった。いよいよショッピングセンターの核となるスーパーの呼び込みです。結果的に地元企業の亀宗(衣類)とフジコシ(食品)との契約に至るのですが、この呼込み劇がかなりの奇策。前述した『小名浜ショッピングセンター物語』にこの模様が記されていますので、興味を持たれた方はぜひそちらをお読みください。

 

 かくして目玉店舗の呼び込みにも成功して、昭和42年6月20日、めでたく地元商店たちの夢の城、小名浜ショッピングセンターがオープンします。

創業時の小名浜ショッピングセンター。隣の空き地には、のちに小名浜名店街だ建設される。
創業時の小名浜ショッピングセンター。隣の空き地には、のちに小名浜名店街だ建設される。

小名浜名店街の生い立ち

 ショッピングセンターオープンから2年後の昭和44年11月23日に小名浜名店街はオープンしました。

当時1階建てだったショッピングセンターに対抗し、鉄筋の2階建て。これまでに一部増築されましたが、基本は創業当時の建物のまま、現タウンモールリスポとして今もなお元気に営業しています。

昭和44年。オープン当時の小名浜名店街。現在の昭和堂あたりのポイントから見た全景です。
昭和44年。オープン当時の小名浜名店街。現在の昭和堂あたりのポイントから見た全景です。

 小名浜名店街も地元商店主による組合で生まれました。こちらはいわゆる地元の老舗や名店と呼ばれるお店から構成されました。やはり、寄合で大型店舗を作り集客しようと言う趣旨は小名浜ショッピングセンターと同じです。

小名浜名店街組合立ち上げの際は、連日連夜、常陽銀行の2階に90名前後の人数で計画の話し合いが行われていたそうです。連日連夜会合に出かけてしまう商店主を夫に持つ奥さま方は『名店街未亡人』と呼ばれるほど。立ち上げメンバーの熱の入れようが伝わるエピソードです。

 

 かくして、老舗を中心とした小名浜名店街協同組合が結成されました。食品スーパーの呼込みとして、当時勿来に1号店を構えていたマルトに声をかけ出店が決まりました。その後、大きく展開して行ったマルト発展のきっかけになったと言われています。また江尻帽子店は、その後全国にチェーン展開する大企業ハニーズへと成長します。

 

 かくして小名浜で商店街の革命を起こした2つのショッピングセンターが誕生しました。オープン後、全国各地から数百に及ぶ視察団が訪れたそうです。全国で議論されていた協同組合運営の難しさ。まさにその共通の問いに対する答えが、繁栄した両施設に存在したのでしょう。いったいそれはなんだったのか。小名浜の歴史から学べることはまだまだたくさんこのまちに眠っているのだと僕は考えます。

 

 かなりの長文になりました。最後に懐かしい写真をいくつか紹介して筆をおきます。コメント欄を設けますので、あなたの知っている小名浜ショッピングセンター、名店街のストーリーがありましたらぜひお寄せください。また、文中に誤りを発見した際はぜひご教授くださいますよう、よろしくお願い致します。

 

このテキストが、まちを考えるきっかけになれば、幸いです。

つたない文章ですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

2013年7月24日 小名浜・アート・盛りつける(OAM)主宰:高木市之助

ギャラリー

昭和45年。小名浜名店街屋上にて。当時は27の名店から構成されていた。
昭和45年。小名浜名店街屋上にて。当時は27の名店から構成されていた。
小名浜名店街屋上での催し物。マイカー時代の到来を象徴する1枚。
小名浜名店街屋上での催し物。マイカー時代の到来を象徴する1枚。
小名浜名店街屋上。年代不明。夏祭りのイベント。
小名浜名店街屋上。年代不明。夏祭りのイベント。
昭和45年。いわき踊りになる前に小名浜で行われていたお祭り「小名浜天狗踊り」。名店街チームの着物は『名店街』と書かれたオリジナル。
昭和45年。いわき踊りになる前に小名浜で行われていたお祭り「小名浜天狗踊り」。名店街チームの着物は『名店街』と書かれたオリジナル。
ビキニギャルがフィーバーする謎のイベント(復活希望)。
ビキニギャルがフィーバーする謎のイベント(復活希望)。
昭和51年。増築された小名浜名店街。アングルは昭和堂あたりから。
昭和51年。増築された小名浜名店街。アングルは昭和堂あたりから。
横町公園に隣接する市営立体駐車場が見える。現業務スーパーがこの頃はデンコードー。
横町公園に隣接する市営立体駐車場が見える。現業務スーパーがこの頃はデンコードー。
いわき踊りの練習をする名店街チーム。ショッピングと名店街の間の景観が懐かしい。
いわき踊りの練習をする名店街チーム。ショッピングと名店街の間の景観が懐かしい。
名店街チラシその1。82年。ハニーズの前身『ハニーハウス』のイラストとキャッチコピーがレトロでかっこいい。
名店街チラシその1。82年。ハニーズの前身『ハニーハウス』のイラストとキャッチコピーがレトロでかっこいい。
立体駐車場オープン時ののみの市のチラシ。のみの市開催時は、ショッピングセンターと名店街が合同でチラシを出していた。
立体駐車場オープン時ののみの市のチラシ。のみの市開催時は、ショッピングセンターと名店街が合同でチラシを出していた。
84年名店街歳末チラシ。小泉屋書店、おもちゃの大越、そして開業1年目のキンダーボックスなど、実に時代を感じます。
84年名店街歳末チラシ。小泉屋書店、おもちゃの大越、そして開業1年目のキンダーボックスなど、実に時代を感じます。
今では19時を過ぎると小名浜で食事できるところは飲み屋以外ないが、この頃二十三番間館ではヨル9時まで食事ができた。
今では19時を過ぎると小名浜で食事できるところは飲み屋以外ないが、この頃二十三番間館ではヨル9時まで食事ができた。
マップのイラストがかわいい。マップをじっくり見ると思い出がどんどん蘇る。
マップのイラストがかわいい。マップをじっくり見ると思い出がどんどん蘇る。

資料提供:タウンモールリスポさま

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コメント: 2

  • #1

    PAPAさま (水曜日, 28 8月 2013 20:12)

    すばらしい! こんなページがあるんですね。感動しました!
    私も「小名浜ショッピングセンター、名店街」の活気を知るものです。あの当時は「町に行く」と言って親に連れられていったものです。ひとしきり買い物をして、帰りに本町通の「大宝」でとんかつを食べて幼心に「贅沢したなぁ」と思ったものです。この活気のシンボル「OSC、名店街」の情報が皆無なので寂しく思い、資料集めをしてみようかと思っていたのです(OCS物語は図書館に予約済み)。最近のモール街に行くたびに「OSCと同じだ・・・」と思う事しきり・・・。最新モールの「横浜 マーク イズ」もどことなくOSCの匂いがあります。当時の小名浜人は凄かったという事ですよね。 今後も掲載をお願いします。期待しています!

  • #2

    吉田みきと (日曜日, 22 6月 2014 19:47)

    貴重な映像と文章、ありがとうございます。タウンモールリスポに、そんな歴史があったんですね。誰かが語っていかないと、次の世代には伝わらない。そんなことを思いました。それにしても屋上にヒコーキを置く発想には、度肝を抜かれました。

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